天平十三年(七四一年)能登国が越中国の一部であった時代、越中国の一宮は現在の気多大社であった。気多大社が中央の文献に初めて見えるのは『万葉集』である。天平二十年(七四八)、越中守大伴家持が出挙のため能登を巡行したとき、まず本社に参詣して、「之乎路から直超え来れば羽咋の海朝凪ぎしたり船楫もがも」(志雄街道をまっすぐに越えて来ると、羽咋の海は朝なぎしている。舟と櫓が欲しいものよ)と詠んだ。本社がいかに重んじられ、のちに能登の一の宮となる神威を当時すでに有していたことがわかる。

氣多大社 鳥居

この神門は、国指定重要文化財で、四脚門という形式で2本の円柱の本柱をそれぞれ唐居敷という

氣多大社 神門 朝8時 予報では大雪でしたが晴れています。氷柱が寒さを物語っております。

氣多大社 神門 青空と雪のコントラストが素敵です。

氣多大社 拝殿 気多神社拝殿は、桁行3間、梁行3間で、屋根は入母屋造り、桧皮葺、妻入りである。

氣多大社 

氣多大社 拝殿横と右が本殿

氣多大社 摂社若宮神社本殿

氣多大社 拝殿の後ろに本殿、その右側が摂社白山神社本殿です。

氣多大社 拝殿の後ろに本殿、その右側が摂社白山神社本殿です。

大晦日、新年のお詣りの準備がはじまっていました。

本日は、能登半島一周のドライブです。安全をお祈りして出発です。